因果応報

子どもに注意していると、自分のこども時代の過ちを掘り起こされてしまうことがよくある。

注意をしながら、自分がこどものときに注意されたときのことと同じだということに気づいてしまう。解決してこなかった課題をまた解かされるようだ。

ある時「何で、宿題をやってあるにも関わらず出し忘れるのか」という話を自分の母にすると、「あんたもそうだったよ。いくらいっても…」ブーメランがかえってくる。

それを子どもが聞き逃さず、いざというときにそのカードを姑息にきってくるのだ。

 

宿題で解き方を忘れるので困っています。と定期面談で話したところ、先生が「みんなそうですよ。私たちもそうじゃないですか、繰り返しやって覚えていったんです。だいじょうぶですよ。」と優しい言葉にホロリとしかかったが、いや、優等生の先生方は、一をきけば十を知る秀才だったはずで、そんな野に降りてきてくださってと、おそれ多いと思った。

仕事中に、時々宿題のフォローを母に頼むと最後には「なんでまた子育てしなきゃならない」とついに匙を投げた。

この作業はなかなかにつらいものだ。

 

数学が得意な夫にその役を振ったら、わかっている人がわからない人への説明は通じず、やはりわからない人の方が的確にわからないポイントをつかんでいるので、私の説明の方がわかったようだ。

 

「なんで勉強しなきゃならないの?」とこどもが聞いてきたらこう答えよう。こうやって、勉強を見るときに教えないとならないからだよ、と。

 

将来の選択肢が広がるといっても、勉強嫌いな子にはピント来ないかもしれないし、いづれは得意な分野に絞られていくかもしれない。でも、小中レベルはできるようにしておかないと、自分がいつか困るのである。